【濱田吾愛の『Fuente del Cante』~カンテの泉~】 第14回 タラント

2025.07.1

★Comentario
 セビージャ、カディス、マラガ……海と太陽のイメージが強い、西アンダルシアの街々。華やかでポジティブな印象のこれらの街に対して、グラナダ、ハエン、アルメリアといった東アンダルシアの街々は、山や丘陵が多く、静かで落ち着いたイメージだ。グラナダを麓としてそびえるのは、万年雪をいただくシエラ・ネバダ。アンダルシアとカスティーリャを隔てるシエラ・モレナと並ぶ大山脈で、主峰ムラセン山はイベリア半島いちの高さを誇る。
 当然、産業も西アンダルシアとは異なってくる。現在は事情も変わったろうが、ひと昔前まで、主要産業のひとつに、鉱業があった。ことにハエン、アルメリア、さらに隣のムルシア州まで及ぶ地帯には数多くの鉱山が作られ、鉱夫たちが働いていた。今なおこれらの土地には、鉱業にちなむ地名や銅像、モニュメントなどが残されている。夜っぴてツルハシを振るい、トロッコで坑道を運ばれ、しらじらと夜が明けそめるころようやく家路につくころ、彼らが口ずさむ唄は、いつしかカンテ・デ・ラ・マドゥルガーダ(暁の唄)と称されるようになった。それらはやがて、カンテ・フラメンコの仲間入りをし、自由リズムのタランタ、あるいはミネーラ(鉱山節)、またはカルタヘネラ(カルタヘナ節)という形式になっていった。この素朴な山歌が、ある日、ひとりの天才舞踊家と出会った。