本場スペインに次いで、フラメンコ愛好家が多いといわれる日本。観るだけに飽き足らず、自らも踊りたい!と世代を問わず、多くの日本人女性(男性も)が難解な「コンパス」に基づくその踊りに挑戦してゆく。フラメンコ教室は、北海道から九州まで全国二百に上るという。 Flamenco × Life 1 フラメンコと出会う 可愛い水玉模様のファルダ(フラメンコ用のフレアスカート)とベルトのついたフラメンコシューズ。靴を履いて踊るダンスという点が、三十歳を目前に無趣味で長時間残業に明け暮れていた私の心を魅了した。目に留まったのは、会社で毎月配布されていた健康保険組合の小冊子の体験コーナー。「フラメンコを体験してみよう!」というタイトルの、ひときわ華やかなそのページを何度も読み「平日のクラスは無理だけど、土曜日だったら通えるかなぁ」と思案した。結局、私が念願かなってカルチャーセンターのフラメンコクラスを受講したのは第一子を出産後、育児休暇中の三十一歳の秋だった。超絶技巧のギターの音色と、激しく床を打ち鳴らすサパテアード(靴音を操り多様なリズムを打ち出す技巧)。本場スペインに次いで、フラメンコ愛好家が多いといわれる日本だが、観るだけに飽き足らず、自らも踊りたい!と世代を問わず、多くの日本人女性(男性も)が難解な「コンパス」に基づくその踊りに挑戦してゆく。フラメンコのフリーペーパー「ファルーカ」(二〇〇六年創刊)によると、北海道から沖縄まで四百五十カ所に配布しているが、そのうちフラメンコの教室数は二百に上るという(教室があるのは北海道から九州まで)。三カ月に一度の発行部数は三万部である。編集長の南千佳子さんは、フラメンコが世代を超えて人気を集める理由について 「カッコイイ、私も踊ってみたいというシンプルな憧れからスタートして、今は教えてくれる教室やスタジオが都内には溢れています。衣装の華やかさはもちろん、踊っている間は仕事や家庭などの日常から切り離される、その感覚が魅力なのではないでしょうか」と分析する。フラメンコはトケ(ギター)、カンテ(歌)、バイレ(踊り)の三者が一体となって成り立つ、即興要素の強い舞台芸術である。フラメンコというと、どうしても踊りの華やかさが目立つが、フラメンコの起源はカンテである。スペインではギターやカンテのコンクールも盛んで、ギターソロ、カンテソロを堪能するステージも数多く催され、アフィシオナード(愛好家)も多い。一方バイレの場合、ギターやカンテなしに踊ることは特別な曲種を除いて、あまりない。フラメンコは、スペイン南部アンダルシア地方に起こった民俗芸術としても知られる。何千年という歴史の時間の中で、さまざまな民族と共生してきたアンダルシアの人々。その豊かな音楽と踊りの伝統に、ヒターノ(ジプシー)の人々が出会い、今日私たちが目にするようなフラメンコが生まれた。つまりアンダルシアの音楽、舞踊のすべてがフラメンコという訳ではなく、その中でも特にヒターノの影響を受けてきたものがフラメンコと呼ばれるのである。スペイン人の名だたる踊り手を見ても、ヒターノ出身のものも、そうでないものもいて、ファルーコ然り、アントニオ・ガデス然り、一流のアルティスタは皆、他の誰も真似できない固有の芸(アルテ)をもっている。私たち日本人も含め、ヒターノ出身でないものがヒターノ特有のあの野性味溢れる雰囲気を醸し出すことはできない。けれど、その表現の源に「フラメンコ的な」ものを抱えている人ならば、何人であれその人の踊りは「フラメンコ」になり、見るものの心を揺さぶる。それがフラメンコが今でも発展し、変化し続け、世界中で人々を魅了し続ける所以なのではないかと思う。スペイン人でも、日本人でも、フラメンコを踊るアルティスタは数多くいる。ファルーコの孫ファルキートやエヴァ・ジェルバブエナなど、誰もが認めるスターも数多く存在する。だが、人の心が一人ひとり違うように、フラメンコに触れた心が「震える瞬間」というのは実はもっと多様で、感動する踊り手も人それぞれなのではないかと私は思っている。フラメンコ公演から衣装の輸入、スペイン人講師によるクルシージョ(短期講習会)まで幅広く「アンダルシア」をプロデュースする株式会社イベリアの蒲谷照雄社長はいう。「今は、憧れの踊り手、目指す踊り手が『たった一人のスター』で占められているわけではない。誰の踊りに感動するかは、観る人によって違う。今、フラメンコを学んでいる人たちにはいろんな踊り手の個性を吸収して成長していって欲しい」フラメンコを習うとき、日本人にありがちなのが師の踊りをそっくりそのままコピーしようとすることである。フラメンコは、素人が踊るには技術的にも難しい踊りである。だから、勢い丸ごと真似することから入ってしまう。振付を完璧に覚えコンパスを外さないように踊っても、それが誰かの心にくいを打ち込むかというと、必ずしもそうとはいえない。これまでプロのライブ・公演はもとより、フラメンコ教室の発表会を数多く見てきた。不思議なのは、プロの踊りだからすべて感動するわけではないし、素人の発表会でも目をひいて忘れられない踊りというのがあるのだ。その差は何なのだろう。一〇年秋から半年間、新宿エル・フラメンコに出演したスペイン人アルティスタのペドロ・コルドバさんはフラメンコ上達の秘けつについてこう話してくれた。「一人の踊り手から教わるのではなく、いろんなアルティスタに目を向けて、自分独自のものを生み出せ」日本人練習生は真面目である。一生懸命、いわれたことを習得しようとする。複雑な振付も、復習を欠かさず覚えようとする。世界中からフラメンコのアルティスタが集う、スペイン・マドリッドの有名スタジオ、アモール・デ・ディオスでも、クラスレッスンの後に「今日やったところを教えて」と外国人受講生から声をかけられるのは大抵日本人だという。習ったことを再現するだけではなく、自分のものにし、消化して、新しいアルテを生み出すためには、フラメンコに感動する自分自身がいなければならない。「カッコイイ!」「こんなふうに踊りたい」「曲の、この部分が大好き」という主体的な自分がいなければ、フラメンコは踊れない。フラメンコを踊るのに技術は絶対に必要だが、技術だけでは踊れないのも事実である。その人が、その人たる何か。それが踊りの中で色濃く表れてくるとき、私たちは言葉を交わさなくても、その踊り手の心の深い部分に接したような、静かな感動に包まれる。私が、フリーペーパー「ファルーカ」の取材を通じて知り合った日本人アルティスタの人生には個々様々なドラマがあり、フラメンコとの出会いも人それぞれ違っていた。バレエなどの舞踊の基礎がある人、社会人になってから初めて踊り(=フラメンコ)に出会った人、何かを表現したい、それがたまたまフラメンコだった人、日本でスペイン人から教わった人、スペインに暮らし学んだ人。ひとつとして同じ境遇、同じエピソードはなかった。このノンフィクションに登場する踊り手の方々は、皆等しく、ステージに立てば観客を沸かせられるアルテを持つ人たちである。皆さん、実名を出しながらフラメンコを軸とした自分のライフ・ヒストリーについて語ってくれた。夢中になれる何かを持っていること。強く希求する気持ちを忘れないこと。美しくあろうとすること。他者を理解しようとすること。 そして、手探りの中から前進することを彼女たちは語ってくれた。(3につづく)